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ありがとうございます

 投稿者:高野 裕メール  投稿日:2007年11月12日(月)23時53分27秒
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  演劇の季節ですね
新潟県内もあちこちでお芝居が上演されるようになりましたね
ありがとうございます、皆さんからいろいろ情報書き込み感謝です

ところで、地元長岡のリリックでもこの11月20日に文学座の「殿様と私」という
なかなかの作品が上演されますね
さっき、井上さんがこの劇評をメールしてくれましたので参考までに掲載しておきます
長岡で上質の演劇が見られるようになることはうれしいことですね、ハイ

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劇評
 <朝日新聞>
マキノノゾミの新作戯曲は、題名の通り、ミュージカル「王様と私」を下敷きに
している。
「王様~」には〈西洋の文明国から来た女性が、遅れた東洋の国の男性を導く〉
という、今日では違和感のぬぐえない部分がある。だが、この「殿様と私」はそ
の図式を超えて、二つの文化の出会いと反発、そのうえで醸成される人間同士の
共感を描いている。優れた本歌取りだ。西川信廣演出。
 明治半ばの東京、白河子爵邸では、西洋化一辺倒の世を苦々しく思う当主の
「殿様」(たかお鷹)が酒浸りの日を送っていた。殿様はある夜、ちょんまげを
結っている家令(加藤武)が侮辱されたことへの仕返しに、井上外務卿の屋敷に
乗り込むといきり立つ。だが、息子に「鹿鳴館でみごとに踊ってみせ、和魂洋才
の手本を示すことこそ敵討ち」と諭され、「ばか騒ぎ」と軽蔑(けいべつ)して
いた夜会に出る決心をする。米国人技師の妻アンナ(富沢亜古)を指南役に招き、
英語の話せる車夫(浅野雅博)を通訳に、殿様のダンスのけいこが始まる。
 武家の価値観に固執する殿様と、それに反発するアンナ。2人はことあるご
とにぶつかるが、殿様は次第に、かたくなに拒んできた時代の変化を受け入れ始
める。一方、日本人を見下していたアンナの内面にも変化が起きる。多くの日本
人が犠牲になった英国船の沈没事故や、鹿鳴館にあこがれる殿様の娘の恋のてん
まつなど、明治の日本が外国と触れることで味わった痛みを絡ませながら、全体
を温かな感触の喜劇に仕上げた作劇がうまい。
 アンナが話す英語を、日本語のままにしたのも、舞台ならではのおもしろさ。
終幕で殿様とアンナとの言葉の通じない対話は感動的だ。
 演技陣はみな充実しているが、たかお、加藤が際立つ。この主従は時に奇行に
走って笑いを誘うが、そこには時代からはぐれた者の悲哀と虚無感もにじむ。愛
敬ある演技の中に、たかおは殿様の知性と威厳を、加藤は家令の一徹ぶりを鮮や
かに描き出す。

 <読売新聞>
ユル・ブリンナー主演の映画「王様と私」では、シャム王室の封建的な雰囲気に、
英国人女性が開明の風を吹き込む。今回の舞台では、元大名の頑迷な華族(たか
お鷹=写真右)に、米国人女性(富沢亜古=同左)が、自由の気風を呼び込む。
近代日本の人間像の描写に巧みなマキノノゾミの脚本は、終始、観客をほほ笑ま
せるぬくもりに満ちている。
 明治中期、鹿鳴館時代の東京。白河子爵(たかお)は、西洋化する風潮になじ
めず、元家来の雛田(加藤武)と酒を飲む日々を送っていた。ある日、雛田がちょ
んまげ姿をばかにされる事件があり、仕返しのため、逆に白河が西洋のダンスを
習い、鹿鳴館に乗り込む計画を立てる。教師として招き入れられるのが、米国の
カートライト夫人(富沢)である。
 白河とカートライト夫人は、ダンスに対する姿勢や、白河の娘、雪絵(松山愛佳)
の鹿鳴館デビューなどを巡り、ことごとく衝突。そこに、あくまで旧習にしがみ
つく雛田が絡み、「切腹する」と絶叫するなど、白河家は大揺れになる。
 たかおが、武者姿や忠臣蔵の討ち入りの装束など、様々な格好で出てくるたびに
場内は爆笑。全編を貫くのは、時代の変化のずれを笑いに転じた上質のユーモア
で、それを支えるのは、出演者と演出家(西川信廣)の絶えざる緊張感だろう。
そこにこの作品の魅力がある。
 日本語を解さず、英語で話す設定の富沢と、通訳(浅野雅博)を介した周囲と
の日本語の会話が、うまくかみ合って自然なのも芸の力を感じさせる。劇団の老
壮青の歯車がうまくかみ合った、極めて質の高いエンターテインメント作品だ。
 
 
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